国際平和維持活動

沖縄戦では、241,336名の日本人が犠牲者になり、そのうち沖縄県出身者が147,336人、さらにその中の約94,000人の犠牲者は民間人であったとのことです。

軍人が戦って戦死するのは仕方ありませんが、民間人がどうしてこんなに犠牲になったのでしょうか。

なぜ、沖縄は、沖縄県民はこんな悲劇な目に合わなくてはならなかったのでしょうか。

いまなお、沖縄には米軍基地の問題があります。複雑な思いでニュースに注目していますが、そのたびに何度も思い起こす言葉があります。

沖縄戦の敗戦が濃くなったとき、海軍代表・沖縄根拠地隊司令官だった大田稔少将は、旧海軍司令部壕にて手榴弾で自決する前日に沖縄県民の敢闘の様子を記した下記電文を本土の海軍次官宛に送りました。

下記がその電文の最後の言葉です。

(電文の現代語要約)

沖縄本島に敵が攻撃を開始して以降、軍は県民のことに関してはほとんど顧みることができなかった。にも関わらず、沖縄県民は青年・壮年が全員残らず防衛のための召集に進んで応募した。残された老人・子供・女性も、悲惨な状況にあるのに軍の作戦の邪魔にならないように狭い防空壕でじっとしている。しかも若い女性は率先して軍に身を捧げ、看護婦や炊事婦はもちろん、砲弾運び、挺身斬り込み隊にすら申し出る者までいる。

陸海軍の部隊が沖縄に進駐して以来、終始一貫して勤労奉仕や物資節約を強要されたにもかかわらず、ただひたすら日本人としてのご奉公の念を胸に抱きつつ、遂に‥‥(判読不能)与えることがないまま、沖縄島はこの戦闘の結末と運命を共にして草木の一本も残らないほどの焦土と化そうとしている。食糧はもう六月一杯しかもたない状況であるという。沖縄県民はこのように戦い抜いた。県民に対し、後世、特別のご配慮をしていただくことを願う。

上記の電文に、心を揺さぶられない日本人はいないと思います。しかし、戦後70年を経て世界有数の先進国になった日本は、沖縄県民に対して、いかなる特別な配慮をしてきたのでしょうか。大田少将と沖縄県民の想いを後世に伝え続けなくては・・・・・・・・・。

「同行ふたり」……お大師様

今から2600年前、古代インドの「お釈迦様」の教え「仏教」、その奥義、秘密の教え「密教」を、空海は真言密教として「真言宗」を開宗なされました。その教えは、今日まで約1200年、時代が変わり人が変われど、一度たりとも途絶えることなく人々の心に引き継がれています。

空海「お大師様」が高野山奥の院にご入定後、「第408世・高野山真言宗管長」並びに「総本山金剛峰寺座主」となられたのが竹内崇峰大僧正(左写真)です。

その竹内崇峰管長猊下により、関西勝手連の上野代表(当時)は畏れ多くも「玄津」と僧名を拝受させていただきました。「玄」は天空、「津」は潤す。つまり、「人々の幸福を実現するために、仏の教えと勝手連の活動を世の中に広めなさい」という意味です。

現在、高野山には、信者の方々だけではなく世界中から多くの人々が参拝に訪れています。それぞれに願い事を託すために、またお礼のために、真言宗の聖地で禅定を続けておられる「お大師様(空海)」にお会いに行かれるのです。

沖縄・小禄不動尊・千光寺別院

千光寺は、今から300年前(元禄10年)に彌栄(やえ)上人が、弘法大師の霊指を受け、摂津の国(現・神戸市)に千光寺建立を発願、建立したのが始まりです。その後、幾度もの盛衰の歴史を経てきましたが、太平洋戦争の敗戦から立ちあがる人々の心の支えとなるべく昭和27年9月19日、宗教法人として再興されました。

しかしながら、平成7年1月17日に起きた阪神・淡路大震災により被災寺院となりました。

そのため、上野玄津(現・千光寺総本山管長)が千光寺再興を祈願し、平成12年7月2日に兵庫県・霊峰雪彦山の麓(姫路市)に本堂を移転して、300年の歴史を次世代につなぐべく再興を果たし、高野山のある和歌山県の白浜にも別院を建立しました。

その後、沖縄県・浦添市出身の上野玄津は、沖縄戦の悲惨さと、いまなお残る沖縄県民の想いの深さに心を痛め、那覇市に小禄不動尊・千光寺別院を建立。同別院にて、沖縄戦の戦没者の廻向供養を行っています。

上野玄津(左)と第408世 高野山真言宗管長 竹内崇峯大僧正(右)
高野山総本山・金剛峯寺於 平成6年3月21日

TEL 03(6892)0015 [総本部代表]

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